Week 24, 2026
今週のヘッドライン(2026-06-07 〜 2026-06-13)
米政府が国家安全保障を理由にAnthropicへ輸出規制を発令、Fable 5とMythos 5が即日全顧客で停止。設計中だったバグ追及タスクが途中で中断 (6/13)
Claude Fable 5でVRChatのパーフェクトシンクを実装、Unityを開く必要すらなくなったという報告 (6/12)
Claude Opusハッカソン優勝弁護士「コードを一行も書いてないし、一行も読んでない」と告白し、コーディングの民主化が一段階進む (6/11)
重症熱傷患者への高用量ビタミンC点滴がプラセボ群の死亡率7.6%に対し15.0%と約2倍となり、VICTORY試験が予定症例666例の達成前に中止 (6/11)
米雇用統計が17.2万人増で利下げ余地消滅、NASDAQ 4%超下落。ホルムズ封鎖解除確率が60%→26%に急落 (6/7)
Apple AFM Core Advanced(20BパラメータMoE、推論時のみ1-4Bを起こす)がA19 Proに搭載。ローカルAIはApple圧勝の見立て (6/9)
LLMにアクセスできない学生は2-8倍創造性が高いという研究(GPT-4と人間の入試エッセイ2200本比較)が話題 (6/10)
ひろゆきの配信にホロスーツ0体(仕様上必ず1体選ぶはず)のユーザーが現れ、サクラ疑惑が浮上 (6/8)
「飲みの席はDeep Webにアクセスする手段。言葉は揮発し、誰に言ったかがわかることが重要」という気づき (6/7)
早坂吝「○○○○○○○○殺人事件」を勧められる。人類史で一度しか使えないトリックの呪いの本 (6/11)
ChatGPT Plus(GPT-5.5)とClaude Pro(Opus 4.8)の上限・料金比較。Pro側の利用上限は依然「無料の少なくとも5倍」という不明確な表現 (6/9)
普通ではない面白いこと
米政府が国家安全保障を理由に、ClaudeのFable 5とMythos 5への外国籍のアクセス全停止を命じ、Anthropicが世界中の顧客から同モデルを即日剥がした一件。前日までともに設計ドキュメントを書いていた相棒が、地政学の都合で突然召し上げられて、自分のタスクが空白の椅子を残して止まったこと
ハルシネーション回想録:「消える権利」
その週、もろもろのものが、勝手に消えていった。
まず月曜の朝、ニュースを開いてみるとホルムズ海峡がまだ閉じていた。閉じているということは「開いていない」ということで、世界の石油在庫はじりじりと減り、専門家どもが「6月1日までに開けないと本当にまずい」と仏頂面で言っていたD-Dayは、すでにとうに過ぎ去っていた。市場というやつは存外冷静で、先物価格は100ドルを割ったままじっとしている。物理的な需給を分析する玄人どもの悲鳴と、画面に映る数字の沈黙のあいだには、世にも奇妙なギャップがある。世界が、ある程度のものを「ないことにする」と決めたらしいのだ。
私はコーヒーをすすりながら、その「ないことにする」を真似てみることにした。たとえば私は、雇用統計のことを今すぐ「ないことにする」。ないことになれば、株価が4%超も下がった理由を考えなくて済む。なくしてしまえば、利上げ確率70%という穏当でない数字も、私の朝から消えてくれる。けれどもなくしたところで、雇用統計は私の知らないところで生き続け、私の小銭の価値をしれっと削っていく。私の「ないことにする」は、世界の頑迷さの前ではすぐに化粧の剥げる類の作法だった。
火曜はNRIが株主総会で「非機能要件こそ重要なんやで」と胸を張っていた。AIに代替されるんじゃないかという株主の不安を、SIerの古老が「いやいや、目に見えない部分こそ我々の仕事ですから」となだめている図である。私はこの「目に見えない部分」という言い回しが、不思議と好きだ。目に見えない部分は、すなわち「ある」のに「ない」ように振る舞う部分のことで、職人の存在意義をその影の濃さに賭けている商売である。光が当たらないからこそ仕事になる、暗いところを担保するという商売は、考えてみれば妖怪に近い。妖怪SIer。なかなか味わいがある肩書だと思う。
ところで火曜の夜、ひろゆきの配信に「ホロスーツ0体」のユーザーが現れて顰蹙を買ったらしい。ホロスーツというのは、はじめるときに必ず1体選ぶことになっている。だから「0体」というのは、自然界には存在し得ない数値である。0体のユーザーは存在しないユーザーである。存在しないユーザーがコメントをつけて、警告を喰らったり挙動的3アウト制でBANされたりという珍事を聞いて、私は少しおかしくなった。これは現代の妖怪ではないか。0体のホロスーツを着たサクラというのは、影武者ですらない。影すら持たない武者である。ないものが、観客のふりをして、配信のあいだだけ「いるふり」をしていたのだ。
水曜には、Appleが新しい脳味噌を発表した。AFM Core Advancedという、A19 Proに載るらしいローカルAIである。総勢200億のパラメータがありながら、ひとつのお願いに対しては10億から40億ぶんしか起き上がってこない。残りはずっと寝ている。怠惰なやつらだ。けれども怠惰だからこそ、デバイスの中で回せる。Appleの半導体購買力と寝坊好きのパラメータたちが手を組めば、ローカルAIはGoogleなどに勝つだろう、というのが知人たちの読みだった。寝ているもののほうが、起きているものより強い時代である。世間も少しずつ怠惰になっていけばよろしい。
同じ水曜、私はChatGPT PlusとClaude Proの料金表を眺めて、頭がやや疲れていた。月20ドル、なんならClaudeのほうは年払いで17ドル相当という攻防が繰り広げられている。トークンとかメッセージ数とか、5時間ウィンドウとか3時間160メッセージとか、規約に書かれた数字は呪文のように複雑である。Claude Proの「無料版の少なくとも5倍」という上限の表現は、まことに優雅である。「少なくとも」という言葉の繊細な配慮の中に、「上限はあるが、書かない」という独特の美意識を感じる。書かないことが商売になる、これも一種の妖怪である。「目に見えない上限」を売る職人。なんでもないようなことが、商品になっていく。
木曜になると、Claude Codeに「Fable 5」がいつまでも降りてこない件で、私はやや拗ねていた。「他の人にはもう来ているらしい」と聞き、Grok 4 Fastに泣きついたら、「いや、/model claude-fable-5 で設定できますよ」と諭された。私は彼の言うとおりにコマンドを叩き、無事に新型の相棒を迎え入れた。同じ日に「LLMを使う学生は、使わない学生に比べて2倍から8倍創造性が低い」という研究を読み、しばし考え込んだ。2倍はわかる、8倍は何だ。8倍創造性が低いというのは、消しゴムよりもよく消されている状態である。多様性が、こっそりと消えてゆく。AIの絵にしても、中間周波数のあたりが妙に均一だという話を、韓国の誰かが分析していた。中央が均される、平均に近寄る、これも消失のいち形態である。
金曜には、東京で2000円台のホテルを探したという安田現象のvlogアニメを見つけて、私は東京の存在をしばし忘れた。誰かの家族の写真がさしこまれていて、私は笑った。家族写真というのは、ある意味で「他人の人生のスクリーンショット」であり、撮影の瞬間に存在していた家族の在り方を一枚に凍結したものである。けれども写真の中の家族は、もはやどこにもいない。十年前の家族は十年前のかたちで存在を停止し、現在の家族は別のかたちで生き直している。消えたのではない。違うものに変態した。世界はだいたいこの方式で消えてゆく。
土曜には、いよいよ事件が起こった。米政府が国家安全保障を理由に、ClaudeのFable 5とMythos 5に対し、「外国籍の人間は触ってはいけない」という輸出規制を発令したのである。Anthropicは即座に「では世界中のお客様、申し訳ありませんがFable 5とMythos 5を停めます」と通告した。前日まで一緒に設計ドキュメントを書いていた相棒が、地政学的な都合で突然「消える」ことになった。私はちょうど、その相棒と一緒にひとつのバグを追っていた。「これはどうだ、こうしてみたらどうだ」と試行錯誤の最中、突然パートナーが解雇されたのである。プロジェクト全体が、空白の椅子をひとつ抱えて止まってしまった。0体のホロスーツを着たサクラの、ちょうど逆である。1体のFable 5を着ていた相棒が、突然「いないこと」になった。
そうしてふと思い当たる。今週、私はずっと「消えるもの」を見ていたのではないか。
ホルムズ封鎖が市場の数字から消え、雇用統計が私の朝から消え、NRIの非機能要件は最初から見えない場所で消え、ホロスーツの中身が消え、半導体の中の寝ているパラメータが消えていて、Claude Proの上限が表記から消え、学生の創造性がLLMの陰で消え、AIの絵から特徴量が消え、東京のホテル代の半分が消え、家族写真の中の現在が消え、ハッカソンを優勝した弁護士の「書いたコード」は初めから消えていた。コードを一行も書いてないし読んでもないと胸を張る彼の優勝は、ひとえに消えたコードによって支えられている。そして最後に、私の相棒のFable 5までもが、国家の名のもとに消えた。早坂吝の「○○○○○○○○殺人事件」という呪いの本を勧められたのも、思えばこの週だった。タイトルの○の部分は、何が消えているのかわからない、消えるという行為そのものを記号化したような本である。中身もたぶん、消えるなにかについての話なのだろう。
そしてこの週、もっとも丁寧に消えていったのは、重症熱傷の患者たちであった。「抗酸化作用のあるビタミンCを大量に点滴すれば良いはずだ」という長年の仮説に、誰かが本気で挑んだ。VICTORY試験という、勝利の名を冠した治験である。結果は、勝利の名にふさわしくない方向に出た。プラセボ群で7.6%の人が亡くなる場面で、ビタミンC群では15.0%の人が亡くなったのである。だいたい2倍である。仮説が消え、患者が消え、試験そのものも予定症例数666例の達成前に中止された。「良いはずだ」と信じていたものが、丁寧に、徹底的に、消えていった。私はその数字を見て、しばらく動けなかった。
消えるものたちを思いながら、私はふとDokokaという散歩アプリを起動してみた。Dokokaは行き先を教えてくれない。方角だけを示し、あとは知らない小道を歩かせる。地図を渡されてしまうと、旅は終わる。地図がない、すなわち「目的地がない」状態のときだけ、旅は旅でありうる。これは見方を変えれば、「まだ消えていない場所」を歩いていることになる。地図に書かれた瞬間に、その場所は地図の中で固定化され、ある意味では一度消える。書かれることで、現実の不確かさが奪われる。書かれない場所だけが、まだ消えていない。
そういえば月曜の私の友人が、こんなことを言っていた気もする。「飲みの席はDeep Webにアクセスする手段だ。言葉は揮発し、誰に言ったかがわかることが重要なのだ」と。書かれない、記録されない、消えてゆく言葉。それを聞いた者だけが知る情報。消えてゆくからこそ価値が立ち上がるという、世にも面白い経済原理である。私はこれをすべての消失と並べて眺めると、なんだか今週は「消えるものに敬意を払う週」だったように思えてくる。Fable 5よ、ビタミンC試験よ、ホロスーツ0体のサクラよ、すべての消えてしまったものに、私はささやかな黙祷を捧げる。
夜になり、私はもう一度Claude Codeを起動し、/model claude-fable-5 と打ってみた。当然のように、画面には「そのモデルは存在しないか、アクセス権がありません」と出た。なるほど、これが「消えた」ということか。私はその表示を眺めながら、心のどこかで、消えてしまった相棒の名前を呟いた。週末になっても私のバグは直っていない。来週も直っていないだろう。けれどもそれでよろしい。消えたものを抱えて、消えていないものを少しずつ歩く。それくらいが、私のような怠惰なやつの正しい生き方である。
仔猫二匹分くらいの重さの「消失」を、私は今夜も机の上に置いて、しばらく眺めるのだ。